about LURE FISHING/mainly Kanagawa pref., sometimes Expedition/bass,trout,squid and more!/camera:CANON POWERSHOT SX260HS


by rikkyofishing
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4月29日 震生湖

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4月29日 震生湖



 写真は雑誌『ニュートン』最新号の表紙だ。「生物多様性」という見出しが目立つ。今年は愛知でCOP10(生物多様性会議?)が開催されるということもあり、「生物多様性」という言葉が徐々に一般にも認知されはじめている。環境関連の人々は口をそろえて、「次なる環境のキーワードは『生物多様性』だ」という。


 この『ニュートン』では、離島や島国などの閉鎖水域における生物多様性を脅かす存在として、見開き2ページで琵琶湖のブラックバスが紹介されている。


 立教の教授に、「生物多様性を守るために外来魚は駆除せねばならない」という主張を展開し、釣り業界を痛烈に批判する人物がいる。彼は数多くの外来種の中でも「オオクチバス」を主なターゲットとしており、それは釣り業界の反発の大きさが、自らが確固たる姿勢で「闘争」していることを示すのに都合がよいと考えるからであろう。


 そんな教授がいるせいか、私は在学中、釣りが好きであることを知られると、よくほかの学生からバス問題に対しての意見を求められた。当時、私はバス釣りの経験がほとんど無かったものの、どちらかと言えば「バス擁護」の姿勢を示していた。釣り人が釣りを楽しむ権利は不可侵だ、と。そのことでよく非難された。「日本の生態系がどうなってもいいのか」というようなことを言われるのだ。大学卒業後、ひょんなことからバス釣り関連業界で働き始めてからは、「大学出てまで犯罪の片棒かつぐような仕事をするのか?」と非難された。もちろん、バス釣りは犯罪ではない。こういうタイプの学生は、いわゆる最近の若者にありがちな、「2ちゃん系ネット右翼」じみた安易な思想を持ちつつも、その「痛さ」に自分では気付かない、あまり思考能力が高くないタイプが多かった。だから、特に気にはしなかった。


 しかし、そういうこともあって、この「生物多様性」という言葉を聞くとつい身構えてしまうのだが、少なくともこの『ニュートン』の内容は中立的で、バス関連以外のページも興味深いものだった。飽くまでも科学的な問題提起であり、決してこの雑誌の内容がそのまま外来魚バッシングの再燃につながるとは考えられない。


 しかし、誤解を承知で言えば、ご存じの通り大部分の日本人は「バカ」である。


 問題なのは、この「生物多様性」という言葉がより広く一般に認知された場合、ポピュリズムに迎合することが多いテレビ朝日などのダメなメディアが、「生物多様性」の保護を重視する姿勢を示し、視聴者の支持を得たいがために、バスとバス釣り、そしてバスを釣る釣り人を「悪」として祭り上げる可能性があることだ。映像を使用した印象操作の威力は強力だ。物事をいかようにも歪曲することができる。


 最近では、アメリカザリガニやウシガエルなどまで駆除されているという。親子でブラックバスの駆除大会に参加したり、中学校の総合学習でブルーギルを駆除したりするらしい。


 「総合学習」とは、特定の考え方を学生に押し付けるものなのだろうか?


 「邪魔者は排除する」ような教育は、果たして教育的なのだろうか?


 「環境」というものは極めて抽象的な概念であると私は考える。環境保護の効果はすぐに実感できる種類のものではない。要するに、環境省は特定外来生物法の制定によって、実績をつくりたかったのではないか。当時は非常に勢いがあった小池百合子が、勇ましい言葉とともにどこかで聞きかじってきた外来種の有害性を得意気に説き、拍手喝采を浴びた。それに対して、ろくに漢字も読めないようなデクノボー政治家・麻生太郎をお飾りで会長とする「日本釣振興会」(一応、釣り人たちの利益を代弁していることになっている)が政治力で負けた。これが、5年前に起こったことのすべてなのだ。


 生物多様性は人類にとって本当に必要なものであるのかも知れず、外来種の駆除はやむを得ない部分は確かにあるのかも知れない。しかし、いち釣り人として、わざわざ環境省の小役人たちの肩を持つ気には到底なれない。


 誰かを批判する際に、よく、「自分のことしか考えていない」、「利己的だ」というような言い方がなされる。おそらく、バスを擁護する釣り人が大衆から浴びせられるのは、そういった類いの言葉なのだろう。


 しかし、自らの利益を守ろうとすることは、そんなに悪いことなのだろうか。こうした文言は「誰か」を黙らせるためにあるものであり、こういった言葉の使い方をする人間は、ただ感情的に「誰か」を糾弾しているだけであって、大抵の場合、その発言には論理性が欠落している。彼らは、外来種の駆除を声高に叫ぶことによって、カタルシスを得たいだけなのではないか。環境のためでも、生物多様性のためでもなく、他ならぬ「自分」のためにバスの存在とバス釣り、そしてバス釣り人を批判しているのではないか。


 そういった人々がいくらわめいたところで、「環境」はよくならないし、「生物多様性」も守られないだろう。彼らは単に流行に乗っているだけで、どうせすぐにすべて忘れるからだ。そもそも、「環境問題」に流行り廃りがあるというのもおかしな話だ。


 しかしながら、大前提として、大メディアの言うことは「正しい」ことになっている。日本という国は学歴社会であり、資本主義国である。当然、東大を出て朝日新聞などの大マスコミに就職した人間の言うことは「正しい」し、大きな金が動くテレビ、新聞の論は「正しい」。そういう「正しい」ことに同調する人物は、例え何も考えていなかったとしても、「正しい」のだ。こうした当然のことが受け入れられない人物は愚かであり、彼の発言は黙殺されるだけである。それくらいのことは私にもわかる。


 バス・バッシングが再び過熱したとき、重要なのは大声を上げて抵抗することではない。この国では「声」が大きければ大きいほど大きな力で押さえつけられる。


 大切なのは、敵をつくるような真似を、とにかく慎むことだ。釣り場のゴミの問題などにもっと関心をもち、改善の努力をする。バス釣りによって、より経済が活性化する方法を考える。釣り場では傍若無人な振る舞いをしない。「これだからバス釣りは…」と言われないように、節度を保った行動を心がける。地道なことでしか、バス釣りをとりまく環境は改善できない。


 一歩でも間違い、世論を完全に敵にまわすようなスキャンダル(業界関係者による違法放流の現行犯逮捕などが考えられる)が起これば、おそらくもうあとは無い。


 そうなれば、バスを効率的に駆除する方法が見つかり次第、バスの棲息数は激減し、「バス釣り」は成立不可能な状態に追いやられる。


 紛糾するアメリカ軍の普天間基地移設の件など、もろもろで支持率を急落させている民主党政権が、藁をもすがる思いで、来るべきバス・バッシングの流れに乗る可能性もじゅうぶんに考えられる。「利用」されないための防御線を、いまのうちから張っておく必要があるのだ。


 そして、再び「嵐」が訪れたら、姿勢を低くしてじっと過ぎ去るのを待つ。残念ながら、それ以外に方法はない。我々の利益を代弁する(ことになっている)政治家たちも、彼らが所属する政党も、一切頼りにならないのだから。


 「オオクチバス」を「特定外来生物」として指定する「特定外来生物法」が施行されて、今年で5年。バス釣りは再び大きな節目を迎えつつある。






 ……魚ですか? 釣れませんでした。


field:震生湖(神奈川県秦野市、中井町)
day:2010年4月29日
time:13時30~18時30分
catch:ノーフィッシュ!
rod:コルキッシュCKC-662M
reel:メタニウムMg
line:ナイロン14ポンド(サンライン/マシンガンキャスト)
lure:ブリッツ、ブリッツMR、ワイルドハンチ、モデルA6A、などなど

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by rikkyofishing | 2010-04-29 22:14 | バスフィッシング